だいたい、あの通帳の大金の事だって教えてはもらっていない。あれ以来、何度か問いつめたのだが、いつも適当に交わされてしまう。
綾子ママはお母さんに聞きなさいって言うけれど、お母さんが教えてくれないんだもん。どうしようもないよ。
フーッと一回息を吐く。
もう一度、綾子ママに会いに行ってみようかな?
明日は土曜日だ。午後から行けば会えるはず。
小さく決心する美鶴の耳に、遠慮がちにかかる声。
「美鶴」
「へ?」
「美鶴、大丈夫?」
「は?」
見渡すと、一同が目を丸くして、少し心配そうに美鶴へ視線を向けている。
「何が?」
「何がって」
躊躇いがちに口を開くのはツバサ。
「さっきからさ、いきなり頭をブンブン振り回したり、抱え込んだり、ため息なんかついちゃったりして」
「あ」
マズい。周囲の存在を忘れてた。
頭でもイカれたかと言いたげな聡と瑠駆真。このまま黙っていたら、心配して熱でもあるのかと手を伸ばしてきそうだ。そして心配だから家まで送っていくとかなんとか。
ま、まずい。
美鶴は混乱する頭を必死にフル回転させる。焦って仰け反る上半身。右手に触れるのは、英語と生物の教科書。
「あ、お、お前たちがうるさいから、勉強に集中できなかったんだ」
苦し紛れだが、美鶴がよく口にする言葉だ。さして不自然でもないだろう。
思惑通り、ツバサは目を丸くする。
「あ、ごめん。そんなにうるさかった?」
「そうか? 別に怒鳴ったりしてたワケでもねぇだろ? 何か隠してんじゃねぇのか?」
逆に胡散臭そうに顔を覗き込んでくる聡。
うっ なぜこんな時ばかり疑り深い? 単純を絵に描いたような人間なのに。
心内で毒づきながら、避けるように背を向ける。
「怒鳴ってなくたって、アンタの声は十分騒音になるのよ」
「何? それはちょっと聞き捨てならねぇな。俺のどの声が騒音だって?」
「その突っかかってくるような声が騒音だって言ってるの」
「突っかかってなんかいねぇだろ?」
「突っかかってるよ」
「突っかかってねぇよ」
「突っかかってるっ」
「二人ともやめなよ」
コウがうんざりとした声をあげて頬杖をつく。
「夫婦喧嘩なんてみっともねぇぜ」
途端、突き刺さるような視線が瑠駆真から。慌てて口を抑えるコウ。
「いや、別に、俺はただ、そういう喧嘩は逆に仲が良さそうに見えるから」
「喧嘩してて仲が良さそうに見えるのか?」
「ちょっと待てよ、山脇」
「何を待つのさ? 蔦、ちゃんと説明してくれないか?」
「山脇、ちょっと落ち着けって」
「もう、変なところで喧嘩しないで」
「なんだよ瑠駆真、妬いてるのか?」
「妬いてる? 誰がさ? 冗談だろ?」
「強がりはよせ。顔に書いてあるぜ。ボクも仲間に入りたいってな」
「ちょっと金本くん、山脇くんを煽らないでよ」
「煽ってねぇよ」
「煽ってるって」
「瑠駆真が勝手に煽られてるだけさ」
「何だと?」
「やるかっ!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
怒声に振り返る四人。無言の視線を剣呑に睨み返す美鶴。
「それがうるさいって言ってるんだ」
「あ」
二の句もつけずに固まる四人。唇を噛み、サッと立ち上がる美鶴。
「どうした? 美鶴」
「帰る」
「へ?」
「うるさくて、マジ集中できない」
「あ、ごめん」
「謝ってもらわなくてもいい」
「ごめんよ」
言いながら手を伸ばす瑠駆真を払いのけ、手早く机の上のモノを片付けはじめる。
「マジ帰るのか?」
「帰る」
「嘘だろ?」
「本気」
言うなり、ピッと人差し指で駅舎の出入り口を指す。
「帰るって言ったら帰るんだ。だからお前らももう出て行け」
ピシャリと言い放つ美鶴に四人は絶句。だが、こう言い出したら帰らざるを得ないだろう事は、四人ともよく知っている。
「悪かったよ。謝るからさ、もうちょっと遊んでかない?」
「私は遊ぶつもりはない」
美鶴の言葉に、聡は失言したとばかりに肩を竦め、その顔を、馬鹿 と瑠駆真が睨み付けた。
聡の訪問を受けたのは、その日の夜遅くの事だった。インターホン越しに向かい合う聡は、深夜の寒さに少し凍えているようにも見えた。もう十二月だ。当たり前かもしれない。
「何よ?」
寒そうだとは思いながらも労わりの言葉などは口にせず、冷たく一言で応対する美鶴。
「電話しただろ? メールも」
「そう? 気付かなかった」
「しれっと言ってくれるなよ」
うんざりとしたように白い息を吐く。
「ちょっと出て来いよ」
「嫌よ」
「どうして?」
「夜も遅いし、寒いし」
お前はこんな夜遅くに寒空の下に女を呼び出すのか?
そんな言い回しに聡はグッと押し黙る。
それはわかっているけれど。
「じゃあさぁ」
呼び出すのを諦め、別の手を打つ。
「これから電話するから、携帯に出てくれよ」
「嫌」
キッパリ断る。
「だいたい、用事ならそこで言えばいいでしょう?」
「できねぇから言ってんだろう?」
チラリと横を見る。管理人室には人影。美鶴が住まうマンションはオートロックだ。住人が許可を出さなければ、訪問者は中に入る事ができない。
「何でできないのよ?」
「話が長くなる。こんなところでベラベラ話せる内容じゃない」
「じゃあ、明日駅舎ででもいいんじゃない?」
っと、明日は学校が終わったら綾子ママのところへ行くつもりだったんだ。
訂正しようとした美鶴の言葉を、聡が遮る。
「できてたら今日話してたよ。それができなかったから、こうしてわざわざ家を抜け出して来てるんじゃないか」
親に見つかったらそれこそ大騒ぎだ。
「頼むからさ、出てきてくれるか電話に出るかしてくれよ」
「メールすれば」
「だから話が長くってメールなんかじゃ」
「いったい何なのよっ!」
同じ会話を行ったり来たり。イライラと美鶴が怒鳴る。
「用件もわからないのに、出て行くなんてできない」
聡はチッと舌を打ち、インターホンに顔を寄せる。
「お前さ、今日さ、駅舎で瑠駆真の顔ばっか見てただろ?」
言葉に詰まる美鶴。正直、そうだという自覚はない。
「別に、瑠駆真の顔なんて見てなかったよ」
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